今日本に何が足りないかと問われると「寛容さ」ではないかと、思う
(ドラマの不適切にもほどがあるを観ての影響でもあるがw)
その寛容さとは何かと問われると、僕はフィリピンのことを思い出す
寛容とは、広い心をもち他を受け入れるさま
具体的には、自分とは異なる意見や価値観を安易に拒絶せず許容しようと努めたり、他人の失敗や失礼な振る舞いをことさらに咎めだてせず許そうとする姿勢など、とあるが、フィリピン社会で最も重要かつ、目指す人間像、フィリピン人の美徳と言っても良い
また、寛容という言葉は日本には明治以降に英語から翻訳された言葉らしく、16世紀のヨーロッパの宗教改革などから、フィリピンも信仰しているカトリックで普遍主義が崩壊し、異教徒も受け入れなければいけない状況、平和的共存が必要悪になったことによって出来た言葉のようである(今はまっているいるアニメの「ち」にもそういう所が出てくる)
フィリピンの歴史からも様々な国に支配され、宗教も言語も、文化も押し付けられ、寛容にならざるを得なかったのだろう
歴史から見ると寛容という言葉や、フィリピンの寛容さは哀しい、しょうがなくそうなっている感があるが、現代のフィリピンはもの凄い勢いで経済成長し、人々の価値観も変化しているので、ポジティブな寛容さが美徳とされ、様々な異なった意見や、価値観、などの多様性を受け入れよう、それと共にグローバルなコミニケーション手段である英語を活用し、世界に出て行くフィリピン人が理想とされている

このフィリピンのポジティブな自分主体の寛容さと英語でのコミニケーションスキルをフィリピンで学ぶことは今の日本人には非常に大切なことだと僕は思う
この寛容さと英語で様々な人と隔たりなく話すコミニケーション能力は、たとえ欧米諸国に行ったとしても、いきなり英語初心者が学べるものではない
英語が話せないと、めんどくさがられたり、コミニケーションが取れない人と認識されてしまい、会話の輪に入れてもらえなかったり、そもそも相手にしてもらえなかったりする
フィリピンは寛容、寛大の代名詞のような国民性なので、まずはどんな人でも受け入れる、そもそも英語が分からないから来ているのだからと、弱いものは更に優しい国民性なので懇切丁寧に教えてくれる
そんなフィリピンで英語という言語だけを学ぶのは勿体ない
せっかくならフィリピン人のその寛大さと、英語でのコミニケーション能力を身に着けて、世界に出ていけばどこでも通用するグローバルビジネスパーソンになっていける
日本に戻っても日本に一番足りない部分を身に着けられるので、これからの時代にもマッチし、英語や日本語で様々な多様な人々とコミニケーションが取れる、自立した寛容さを身に着けたスーパー国際的日本人になれる