フィリピン歴20周年記念(セブ、ヴィサヤ地域)

フィリピン歴20周年記念(セブ、ヴィサヤ地域)
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今年2020年でちょうどフィリピンに来てから20年になります。
20年前最初セブに住んでいたのですが、セブですら日本人で住んでいる人は少なくダイビング関係者、リゾート関係者、日本企業からの駐在の方々、フィリピン人の奥さんを持つ方々ぐらいしかいなく、今一番多い語学学校関連やIT関連の人は一人もいませんでした。
同じ年ぐらいかちょっと上の日本人もいなく、フィリピン人も当時はまだ外国人に慣れていないのでなかなか苦労しました。

そこから2002年日韓ワールドカップの前後辺りから韓国人が増え始め
当時彼らの通訳をやっていたのでわかりますがその勢いは凄まじく
韓国のダイビングショップ、旅行会社がどんどん進出しそれと共に韓国料理店、韓国食材店がどんどんでき始め、韓国人旅行者やそれにつられてセブに住み始める人,職を探しに来る人などどんどんネズミ式に増えていきました。
そしてある程度まで数が増えたら語学学校をやり始めました。
これも一つが出来て成功していくと一気に爆発的に増えフィリピンに英語を学びに来る韓国人のブームができました。
日本人が語学学校をやりはじめたのはその後10年経たないかぐらいです。

日本人が今のように語学学校をやったり、若者がセブにやってきたり、IT関連の人が増えたのはここ5年から10年の話で、日本人がやっていたことを韓国人が後からやり今や韓国人がやっていたことを日本人がやっている形です。
多くの若者がセブにやってきているのでここ5年ぐらいでセブのイメージも一気に変わったと感じます。
セブはちょっと怪しく怖いおっさんのリゾートから海が綺麗で英語も学べる若者のリゾートに変わりつつあります。
良いことですがあまりにも無防備な日本の超平和ボケした若者が日本の感覚でそのまま来てしまうのでこっちとしては見ているだけでハラハラします。
イメージは変わりましたが根本的には20年前と同じフィリピンですのでいくら変化したとはいえ根本的なものは早々変わるものではないです。

この20年間セブ、ドゥマゲッティ、シキホール、マレーシアのボルネオ島、タイのプーケット、バンコク、チェンマイ、日本の東京、沖縄などを行き来しそれぞれどこがベースかでフィリピンにはずっと住んだり、通い続けたりしていますが
日本は20年間あまり変化がないですが、東南アジアはすさまじく変化しています。
フィリピンも変化が遅い方でしたが5年前くらいからやっとセブは急激に変化しはじめたのを感じました。
ドゥマゲッティは地方都市で観光業やリゾートが主要産業なのでそこまで大きな変化は起きていませんが、メトロセブはこれからも増々すごい勢いで変わっていくと思います

何をするかによりますが、これから大きな変化も感じていたいし、そこで挑戦もしていきたいのでセブとの関りが増々増えていくように計画しています。
また別の考えでは穏やかな昔ながらのフィリピンの良さを伝えていきたい、特に教育の面などで活かしたいし、住むのは穏やかで自然が多い方が良いのでドゥマゲッティにも住み続けます。
良い所取りで田舎半分都会半分で過ごすというのが理想なので、そのようにしていこうと思っています。
凄まじい変化を感じながらそこに挑戦しながらも、生活のベースはあくまでも田舎で自分のペースを守り続ける
そんなカントリージェントルメンにシフトチェンジしていきます。

変わりゆくものと変わらないものを見守り続ける

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