ネグロス島でゼロから手掛けたビーチリゾート完成

ネグロス島でゼロから手掛けたビーチリゾート完成
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ドゥマゲッティジャーニーコーディネーターが発足した当時の最初の大きな仕事それがこのビーチリゾートをゼロから創る仕事。

ゼロからというのはビーチリゾートを創る前から関わっていたクライアントで当時農業をやりたいと依頼されていた。

何度かお会いして親しくなると「あなたは何がやりたいのか??」と聞かれ、僕は日本で働いていた時から10年以上かけてビーチリゾートをやる構想を立てていてずっと追い続けていたので、「ビーチリゾートがやりたいんです」と答えるとじゃあそれをやろうとあっさり言われ、

ゼロからビーチリゾートを創ることになった。

土地を探す所からすべて任され、土地売買の交渉や会社立ち上げやその他の法律的なことやその後の建築的なことまで全て全くのド素人で何もわかっていなかったが依頼されたので必死にこなした。

日本から不動産のプロ、建築デザインのプロ、建築コンサルや監督のプロが来ていろいろ教えてくれた、ただ現地のことは自分でやるしかなかった。

大きなお金が動くと特にフィリピン人は厄介なことになってくる。

次から次へと問題が立ちはだかり、困難が降りかかってくる。

裏切りにつく裏切り、だましあい、詐欺、窃盗ありとあらゆる人間の汚い部分が露骨に出て来る。しまいには会社の顧問弁護士、役員全員解雇し、全員変更までした。

土地のオーナーが購入後に勝手にヤシの木9本を夜のうちに切り取り持ち出し売ってしまい警察を呼んだりもした。

途中2回身内同士の喧嘩やあまりにも問題が次から次へと降りかかるのにたまりかねて日本人オーナー達が辞めると言い出し、何とか説得して元に戻ったこともあった。

とにかく数えきれないほどいろいろなことがあった。

私自身は先が見えていたので完成前に辞退させていただいた。

現地支配人になれと言われ、その代わり今やっている仕事は全てやめろ、このリゾート事業だけに集中しなさい、敷地内に住居を作ってあげるからずっといなさいと言われた。給料は月5万ペソだよ、オーナや運営担当の人は月に3、4日ぐらいしかいないでもこちらには全て任せてくれないとか、私のサンドバック担当をやってもらいたいんだよとか言うので辞退した。

当時は渦中にいたのですごく悩んだが、今思えばこんなバカげた話はない。

私が全ての仕事を辞めリゾート勤務になったら24時間、365日休みはなく、どこにいようが寝ていようが何があろうが、日本人なので日本人のお客さんが何か言えば必ず呼ばれる。

ましてや他のお客さんであっても、責任は日本側が取ると言っていたが現地にいないのに取れるはずがない。

ましてや月5万ペソって人を馬鹿にしているも当然で現地のこともはなからわかっていない。

まあいろいろあって現在はフィリピン人の2、3年ほど教育していた男を私が辞める代わりに紹介したので彼が上手くやっているようだ

完成まで4年だったか5年経ってしまったか、とにかく完成はした

これからどうなるかはわからないがこの混乱期の真っただ中に完成し完成披露パーティーをやった。

最後までなかなか滅茶苦茶なやり方だ(3月18日オープン、フィリピンロックダウン真っ只中で当然日本人オーナー達は来れない、そもそも来るつもりはなかったようだ)

ここがジャーニーコーディネーターの始まりでもあり、ここでいろいろ学ばせていただいたことには大変感謝している。

不動産も法律も建築関連も会社設立や運営などもいろいろなことを実践でしかも多くの壁や問題と共に学ばせていただいた。

このリゾート創りが私のここネグロス島でのいろいろなことを始める前の原点

今はコロナウィルスで滅茶苦茶な状態だがここからもっともっと成長してもっと大きなビジネスや仕事をしてやる

感謝もしているがとても複雑な気持ちで、一番は自分が成長して見返してやりたいと言ったところだろうか。

下請けはやらない、相手がどんな大物であろうとも、どんな大きな会社であろうとも対等な立場じゃないと私は仕事はしない。

そうこの時からこのポリシーを守り続けている

まだ日本人の働き方、ビジネスのやり方はあまり変わっていないんだよ、改革というけど教育から変えていかないと

原点に戻ってまた考える、このコロナの混乱の最中なかなか灌漑深いものだ

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