ドゥマゲッティのシリマン中学校に半年間単身留学していたコウフク君が帰国した。
13歳の少年がたった一人で住んでいたので彼の母親から頼まれて何かあった時の現地保護者をやっていた。
特に病気やケガやトラブルがあって呼ばれたことはなかったが、話を聞きにいったり、こちらのお祭りに誘ったりと月に1、2回は会っていた
奄美大島の小さな小さな小学校に通っていて近所もみんな知り合いばかりというところにいたからか、最初会った時からかなりシャイな子で日本語ですらコミニケーションを取るのが正直難しかった。
フィリピンがドゥマゲッティがいくらフレンドリーで親切な人が多いと言っても、自分から閉じこもってしまい、コミニケーションを取ろうとしない人に対しては当たり前だが難しい。
それでもシリマン中学校のクラスメイトは最初に話しかけて友達になってくれた子を筆頭にコウフク君に積極的に話かけ、明るく振る舞った。
留学生担当の先生やコウフク君をサポートする先生もかなり親切に明るく振る舞った
最初コウフク君は下を向いて顔を上げずにコミニケーションを拒み続けたが、じょじょに顔を上げだし、リアクションを取るようになったようだ
卒業間近には少ないが英語で言葉を発することができるように、少しだけ僕も聞いたことがあるが発音はすごくうまかった。(ただ恥ずかしくてうまく話せないらしい)
コミニケーションを取れないコウフク君のことは当然ながら校長先生の耳に入り、校長先生も積極的に彼の面倒をみるようになった。
そして英語がわからない彼のために学校で必要なものを一緒に買に行って上げ、シリマンの寮のスタッフまで近所に買い物に付き合ったりもしていた(実際に街中で見かけた)
そして、シリマンの卒業生のお婆ちゃんまでも彼を気に留め、学校で必要な靴や制服を
自腹でプレゼントした。(足長お婆ちゃん)
たとえ短い時間でも、たとえ外国人でコミニケーションが取れなくても、同じシリマンにいたものとして最大限のもてなしを尽くす、それがシリマニアンの誇りと伝統らしい
あろうことかこのシリマニアン達は半年しかいなく、苦労かけられっぱなしの日本人留学生のためにサプライズ送別会を開いてくれた
僕もコウフク君の保護者として校長先生や、留学生担当の先生と話を何回かしていたのでサプライズパーティーに呼ばれた。
飾りもすごく、ケーキやお菓子、飲み物なども用意されていて
プログラムまで準備されている
こういう催し事にはめっぽう強いフィリピン(この頭を仕事に使ってくれーー)
コウフク君に目隠しをしてクラスメイトが教室に誘う
着いたらみんなで歓待、クラッカーや王冠をかぶせてみんなで写真を撮りまくる
一日王様気分、コウフク君のための時間がはじまる
始まりの挨拶的な挨拶
送別の歌(何故か日本のカエルの歌、日本語、英語、ヴィサヤ語バージョンで永遠と歌う)
コウフク君の住んでいた奄美大島の紹介(勝手に留学生の日本人がやらされる)
留学生担当の人の話、校長先生の話、足長お婆ちゃんの話
校長先生の話でも、みんなの話でも「またシリマンにドゥマゲッティに戻って来てくれることを信じています、私達はいつでもウェルカムです」という言葉が添えられていた
なかなか困難でコミニケーションが取りずらい日本人の少年をここまで気にかけてくれるなんて、こちらが頭が下がる
当の本人はどう感じているのか、よくわからない表情をしていたが
(かなり態度が悪く、こっちがヒヤヒヤさせられた)
本当に周りの人々が温かく支えてくれていた、クラスメイトもすごく良い子らばかりで明るく、温かくコウフク君を見守り、助けてあげていた、先生方も校長先生も、少なくともシリマン中学校側はこの問題児に対してやりきってくれたと思う。
コウフク君はいつかこの時のことを反省し、リベンジに来てもらいたいと僕は切に願う
中学生だからとか、言葉がわからなかったからとか、小さな島にいたから人に慣れていなかったからとかそういうのではない、気持ちを気持ちで返すことは誰でもできる、そこには言葉はいらない。
少なくとも僕が見ている限りコウフク君は自分の中に閉じこもり、周りの人の親切に答えることができなかった。自ら行動することを拒否していた
今は気づけない、この温かさを感じられなかったかもしれないが、いずれわかる時がくると信じている、その時でも遅くないから必ずシリマンに、ドゥマゲッティに戻ってきて感謝の気持ちをみんなに伝えて欲しい
コウフク君、君も立派なシリマニアンなんだから
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