ジャーニーコーディネーター2020年一年の振り返り

ジャーニーコーディネーター2020年一年の振り返り
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2020年を振り返ってみると大概の皆さんもそうだと思いますが、自分の人生の中でも1,2を争う波乱万丈の一年だったと思います。

どこが変わったのか?と聞かれても変わってない所の方が少ないと言える位全てが変化しました。

今年の6月のタイミングでドゥマゲッティの学校に入学し家族で移住して来る方々が今までの中で一番多かったのにも関わらずコロナのおかげで全部パー

3、4月の移住の下見も、GWのダイビングもネイチャーツアーの予約もことごとくキャンセルになり、3月1日からいきなり全ての職を失いました。

そして3月から文字通りロックダウン、しかも世界最長と言われ段階的に緩くはなっていきましたが、今日本にいて第三波と言っていますがこのロックダウンの凄まじさは当の本人だった僕ですらもう信じられないくらい厳しく、思いだしたくもありません。

こんなことは人の一生の中でなかなかないので少しこの際まとめてみます。

6月中旬に何とかまだロックダウン中で空港すら封鎖された中、超運が良く臨時便に乗れ様々な手続きと書類を掻い潜り何とか超ゆるゆるで優しい日本に帰国できました。

この前と後の人生の変化を面白いのでまとめてみます。

ハードロックダウンのフィリピン→超ゆるゆるで何のまとまりもない指針もない日本へ

ビフォーとアフターの変化まとめ

①住む場所、国の変化

住む国どころか、生まれ育った日本でも住んだことも縁もゆかりもなかった山口県の岩国市にいきなり住み始めました。

ずっと東京に住んでいたので日本1の都会から電車は1時間に一本、一両編成、バスは走っているか走っていないかよくわからない文字通りの田舎へ

車がないと生活していけない、コンビニもちょっとした買い物ですら車で20分以上いかないとない所。

ドゥマゲッティの方がよっぽど便利で交通機関もバンバンあるし(トライシクルやジプニーやバスだが)歩いて1分かからない所に雑貨屋や総菜屋さんなど数多くあり基本生活に必要なものは何でも手に入る(サリサリやトロトロ)

何だドゥマゲッティって便利だったんだなとつくづく思う。

近所はみんな知り合いで気兼ねなく付き合えるし、1年中暑いので基本ちょっと近所を出歩く時は上半身裸でサンダル履きに下ボロボロの短パンだった、髪ぼさぼさ、髭ぼうぼうでも平気で歩きみんな温かく迎えてくれた(笑)

「洗濯とかどうしてるの?洗ってあげようか?とか、最近太ったねーとか、黒いねー、フィリピン人みたいだねー」などなど結構変化に気づいてくれよく人のこと見てくれているんだなと感心していた。

②やっていた仕事を全て失いました。

やっていた仕事がダイビングをはじめ観光業や主に日本からのお客さんや日本の企業さんとの仕事で収入がそっちからだったので、ロックダウンになり全ての職を失った。

日本に帰国し

今まで全くやったことがなかった母のやるパン屋や古民家カフェを手伝い、全食事を作り、生活全般はその手伝いと引き換えに賄ってもらえるが全くの無給生活に突入しました。

3月1日から収入ゼロ円生活突入、ドゥマゲッティでも食事と通訳をするのを条件にプール付きで周りが欧米人だらけの快適なアパートに移り、支出ゼロでパーティーやプール生活で快適に過ごしたので日本でもお金はないが快適な生活を手に入れている。

来年3月で丸一年無収入生活突破する、お金がなくても自分のサバイバル能力とコネを使い豊かに生きる道を試しながらお金とは何か豊かな生活とは何かを考えるきっかけになればと思いサバイバル生活継続中。

③付き合う人々も普段話す言葉さえ変化しました。

フィリピンの地方都市で普段仕事をしている時以外はヴィサヤ語か英語で周りのフィリピン人や欧米人達と会話していましたが、日本に帰国しドゥマゲッティよりも田舎に移り住むことにより100%日本語のしかも山口と広島弁がかなり交じる超高齢化社会の中で友人も知り合いも全くいない中で、若者すらなかなか出会えない中、あまり人と話さないで母と二人で暮らすようになりました。

還暦を越えた母と再び暮らし向き合うことで自分がより見えて来る、親の影響から自分が脱することができもっと自分らしく自由に生きることを学んでいるような気がします。

また還暦を越えた母とこの先どれくらい一緒にいられるのか?最後の長く付き合える、親孝行できる期間ではないかとも思いとことん付き合ってみています。

話せる相手がほぼ母しかいないのでしんどいこともありますが、この環境を利用しより成長できればと思っています。

今は充電の時だと放電の時を思い描き今は改めて勉強し華やかな再スタートのために我慢の時でもあります。

④環境、気候の変化も激しい

一番変化の中で困るのはやはり気候が違い過ぎるなと、特に今まさに冬の時期、寒いのが苦手で南国を選んだのもあるので寒く縮こまり動きが鈍るのと日々葛藤しています。

動きたいけど動けないみたいな、家で過ごして何かできないか、寒い冬の時期ならではの楽しみ方や学び方を日々模索しています。

耐え忍ことを勉強しています。

それでも自然と触れ合いたいし、外に出たいので寒いながらも釣りや旅行や散歩や食べ歩き、温泉を楽しんでいます。

⑤周りの価値観の変化

日本に住み始めて数カ月は快適でご飯は美味しく、当たり障りのない静かな環境、人間関係に満足していたのですが、だんだん物足りなくなってきて、不安も増してきました。

ここはやはり日本なのでとにかく日本人は勤勉で働く、ちゃんとしている。

70を超えたおばあちゃんおじいちゃんだって現役バリバリで働いている、農作業もしている。

みんな当たり前のように働いて、嫁をもらい、家族を養っていく、真面目にちゃんと生きていく。自分がやりたいこと、好きなことを仕事にする、海外に出る、自分のやりたいように生きていくことはあまり考えていないようです。

とても素晴らしいことですが、どうもそもそもの価値観というか、考え方、人生観が僕とは合わない感じです。

フィリピンはまた違い、基本的には働きたくなく、楽しく楽して生きていきたいようです。

価値観の根本にあるのが家族を大切にする、家族や仲が良い人を愛するだと思うので、そのための仕事であり、人生だとみんながわりと理解しそこに向かっています。

みんなが好きなように、好きなことをやって生きている感じですが根本の価値観は家族や人を愛することにあるのでわかりやすいと言えばわかりやすいです。

日本はその本質や、どこに向かっているのかを見失っている感があります。

(特に都会に行くと)

僕は自分の好きなこと、やりたいこと、使命を全うしながら、自分の経験や能力をフル活用しこの世界をより良い世界にしていくことが進むべき方向です。

前者が良いとか後者が悪いとかそういうことではなく、様々な価値観の中に身を置き触れ合い、自分もより良く変化していきたいと思っています。

まとめ

2020年はコロナにより様々な変化を味わっていますが、結局は自分次第だと思います。

この変化を悲観するのか楽しむのか、これをこの先より良く活かしていけるのも自分次第。

この大きな流れに流され、翻弄され、波のように突き動かされ揺られ、浮いたり沈んだりいろいろな心情や身体の変化も味わいましたが、結局は自分が今できることと、できないことをはっきりと見定め自分なりにここからも学びそして活かしていくこと

まさに七転び八起、結局最後に起きていれば笑っていれば良いではないかと、人間落ち込むこともあるさ、だって人間だものと、今は思えているので良いかなと、来年これを活かして頑張っていこうと今はやる気満々、気力も充実し寒い日本で目を輝かしています。

全て失ったように思えても残っているものは沢山ある。

職や財産や時間は奪えても、自分の経験や思い出や感動、人脈までは奪えない

今残っているものでまたやり直せばいいや、2020年は真っさらにしてもらい、また1からの再起をやらせてもらい様々な学びを与えてもらったと今なら思える。

素敵な2020年をありがとう!

2021年もより自分らしく、様々な変化と共により良い人生を歩んでいこうと思います。

皆様2020年も応援してくださり、支えてくださりありがとうございました。

この激動の年を生き延びられたのも皆様のおかげです、本当にありがとうございました。

これからも皆様のお力になれるように日々精進していきます。

来年もまたどうぞよろしくお願いいたします。

2020年12月 ジャーニーコーディネーター代表 五十嵐 唯

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