祝フィリピンとの関わり人生の半分突破(フィリピン歴18年)

祝フィリピンとの関わり人生の半分突破(フィリピン歴18年)
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フィリピンにはじめて来てから20年、住み始めてから18年の時費が流れた

フィリピンにはじめて来たのは今から20年前、そこから高校卒業しすぐに当時セブにあったフィリピン政府公認のダイビングカレッジに通うことになり、フィリピン生活がはじまった。

それから18年、今年で36歳になったので自分の人生の半分をフィリピンと過ごし、フィリピンと骨の髄までどっぷりと付き合ってきたことになる

18年前のフィリピンは、セブはまだそんなに日本人が多くなく、ましてや今圧倒的に多い韓国人は全くと言っていいほどいなかった。

セブやドゥマゲッティに来る日本人はダイビングかリゾートかお姉ちゃん目当ての人ばかりで、オジサンやヤクザっぽい人が多かった。

2002年日韓ワールドカップの前後でいきなり韓国人が急激に増えていった

当時韓国人の通訳をやっていたし、韓国人と仲が良かったのでわかるが、韓国人のビジネスマン達はみんなヤクザがらみか、韓国の財閥系といってもやはりヤクザがらみの人が多く、普段は優しいが酒が入ったり、お金がらみになると急に態度が豹変し怖い人になる

2001年ぐらいから韓国系の英語学校が少しづつ出来て来た

日系の英語学校はそこから10年ぐらい後になってやっとポツポツとできてきて、

ある時を境に一気に急激に増えていった。

それから何をやるにも日本人は後手後手に周り、決断が遅く、みんながやらないとなかなかやらないとフィリピンの中でも認識されるようになった。

どちらにしても今セブやフィリピンである日本人のビジネスは英語学校を筆頭にほとんどのものはここ5年、長くて10年の歴史しかない

逆に言うとこのフィリピンの成長率と共に日本人がやっと乗っかって来て、ここ数年の間に急激にフィリピンでビジネスをやる人が増加し出した

今がフィリピンでのビジネスの転換期であり、今後増々増えていくと思う

今までフィリピンになかったビジネス、フィリピンではまだ早いと思われていたビジネスが今後急速に需要が増え、十分な所得、購買欲、1億を越えた人口、若い購買層などなど

フィリピン国内のマーケットも十分ターゲットにできるようになる。

18年前若い日本人でビジネスする人はほぼ皆無、だいたいがお姉ちゃんがらみでお姉ちゃんに踊らされてか、生活費をちょっとでも稼がせてあげたいなどのいずれも下心ありでビジネスやる人しか見かけなかった

それが今若い人がセブに集まりはじめ、様々なビジネスをはじめている新しい展開、新しい動きがセブやマニラを中心に出て来ている

志を持った若者がもっとフィリピンにやってきて起業していただきたい、あわよくばドゥマゲッティにネグロスに来ていただきたい。

18年間、自分の人生の半分を過ごしているフィリピンは僕の第二の母国

その大変お世話になっているフィリピンに恩返しができたら、フィリピン人の本当の誇りを取り戻し、アメリカの真似ばかりでなく、真の意味でフィリピンとしての独立、独自の文化を取り戻していただきたいと切に思い、僕もまた動き続けます

18年間の想いを胸に、半分フィリピン人として、時にフィリピンにどっぷりはまった時期もあったが、それではビジネスはできない真にフィリピンとは関われないと気付かされ、日本を学び、世界を学び、再び良い距離感でのフィリピンとの付き合いを模索し、日本とフィリピンの架け橋になるための努力を日々欠かさない

どちらの気持ちもわかるので常に板挟みにあい、時に絶望、挫折するが、この18年間の歴史を踏まえてそれでも自分にしかできないことを必死にやっていきます。

 

フィリピンに来て1年しないうちに言葉をマスターして、フィリピンスタイルにもどっぷりつかってきたので、よく「あいつは言葉もできるし、フィリピンスタイルもよくわかっているが、これでビジネスのことや日本のスタイルがわかれば最強なんだけどな」と言われ続け、やっと今になりその意味がわかり日々勉強の毎日です。

僕自身まだまだスタートしたばかり

これからが勝負時、僕のできることを最大限に活かし、日本とフィリピンの良き懸け橋になるために日々奮闘していきます。

今までのこの18年間の経験を活かし、これから自分の能力を日本のためにフィリピンのために世界のために爆発していきますので、どうか皆様これからの五十嵐 唯もどうかご支援、応援ください。

 

 

 

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