海外に行って気づく日本の教育の危うさ

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現在ジョージアという国でパートナーの子供二人の面倒をみながら(6歳と8歳)、勉強特に英語やジョージア語の習得を手伝っているが、フィリピンでも気づいてはいたが日本の教育がわずか年長さんや小学校低学年であろうとも語学習得にとっての足かせになっていることに多々気づかされる。

まず圧倒的に日本人が例え小さな子供であっても語学習得にとって邪魔しているのが変な羞恥心や猜疑心だと思う。

僕らの子供の時はそこまで強くはなかったかもしれないが、最近は特にその傾向が強いらしく、間違えを極端に避ける、誤ったものはなかったもののように消しゴムなどで消して正解の答えを書き写し正しかったようにしてしまう。(学校教育からしてそうらしいです)

日本の社会的なおかしさから来ると思いますが

知らない人と話してはいけないなど他人との関りを強く親から否定されているので

変な警戒心?が強すぎて大人も何も話せない、話すと下手したら通報されるなどのおかしなことが多いので大人も子供も近づけないという変な状態になっているそうです。

子供がそもそも他人に対して猜疑心からはじまり、話さない、心を開かない、他人との会話に慣れていないのが強く感じます。

健全な自由な社会であれば子供はピュアで好奇心の塊で、公園や習い事、学校などで外国人や面白そうな同じ年くらいの子供を見かけたら話しかけたり、じっと見たり何かしらのアクションを起こしますが、日本人の子供はそれを極端に避け、逃げたりします。

ここジョージアでもドゥマゲッティでも子供達は日本人の子供達を見かけたらキラキラした目でどんどん話しかけて来たり、近づいて来て、好奇心のままに質問責めにし、日本人だとわかると知っている日本語を一生懸命思い出し「こんにちはー、ありがとう!!」と連呼してこちらと何とかコミニケーションを取ろうとします。

恥ずかしいという気持ちはもちろんジョージア人にもフィリピン人の子供達にもありますが、それよりも好奇心や仲良くなりたい!知りたい!っという気持ちが勝ちます。

最初から受け身で先生が言っていることをただただ聴き、ひたすらインプットしていく教育は特に語学を学ぶ時は不向きだと僕は思います。

日本人が英語ができないのは何も文法が逆だからだとか、言語的に離れているからとかではなくアウトプットする時間、機会が圧倒的に少ないからだと思います。(自らその機会を作っていく)

言語は動態的なものなので、上記した日本人の傾向では、フィリピン人のようにどんどん好奇心のままに知識欲のままに自ら動いていかないと、外にアウトプットしていかないと言語はいつまでたってもただの文字、机上の空論になってしまいます。

海外に出て教育を受け根本的にインプット型からアウトプット型にしていかないとまず最初のハードルである語学が身に着きませんし、その後の様々な分野の応用も世界レベルではなかなかに身に着いていきません。

日本の常識が、教育が、価値観が今更に世界基準とはかけ離れていて、このままいくと日本が世界から相当取り残されるということを危機感として持つ必要があると思います。

特に小さなお子さんで応用力のあるうちに世界に出ていかないと、もう手遅れな状態に益々なっていくというのは僕は痛烈に感じます。

現在ジョージアに来て1カ月、ドゥマゲッティの教育移住のサポートを400名ぐらい行ってきましたが、日本の独特の教育が海外生活、語学習得には結構な足かせになっていることを子供達を通して感じています。

まずは根本的なこの足かせを少しづつ外すことから始め、時に強引に引っ張ることもやむを得ず、成功体験と楽しむことを重ねさせながら語学や他人と関わることを教えていこうと思います。

引っ込んでいては、全て受け身のままでは何も始まっていきません。

それは日本でも世界に出ても結局は同じ問題がついて周ります。

世界に出て日本の良さに気づきまた日本に戻っても良いと思いますが、日本に居続けながら世界のことやましてや日本のことも本当にはわからないと僕は経験上思います。

子供達の選択肢を増やしてあげるために僕らはこうして海外に出ました。

教育移住を勧める気持ちは例えコロナ禍であっても、新たにジョージアに来ても変わりはありません。むしろオリンピックや緊急事態宣言延長などのニュースを見てますます日本に出て良かったと思っています。

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